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自然のなかに自由はない(続) [日々のくらしから 家族、社会、自問]

 
 学校でのいじめが、深刻な事件、自殺につながってしまう、そういうことが続発し、親も子どもも教育現場も衝撃をうけています。 どうしてこうしたいじめが頻発するのか、なぜ、それが、自殺にまでたどり着いてしまうのか、子供を助ける方法はなかったのかなど、いろいろ疑問はふくらむばかりなのですが、事態はよくなっているようには思えません。 
 いじめがなぜ起きるのか、その理由をはっきり理解することは問題を解決するためにも、またいじめを出来るだけ少なくするためにも、どうしても必要なことだと思います。いじめはある状況や環境のなかの結果としてあるので、個人の責任を問うこととは全く別だということをよく考える必要があると思います。  
 これはカントが主張した自由の解釈とつながってくると思いますが、ある結果についてのさまざまな原因のつながりは自然で、人間もその中に組み込まれた現象です。
 責任が問題として自覚されるのは自然な、社会的な因果関係がはっきりした上で、個々人が主体的に事件とのかかわりを考えた時のことではないでしょうか。
 しかし、テレビなどを見ている限り、なぜ、こういう悲しい、あってはならない事件になり、とめることができなかったのか、事実があきらかになることもありませんし、背景にある問題がしっかり検討されるということも足りないようです。
 また事件について、報道の中に出てくる教育関係者の主体的な発言がないのも、自分がない、責任もないということなのでしょうか。ちょっと辛い愚痴っぽいコメントですみません。







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風船かずら

間違いなく大人の責任。私もそのとおりだと思います。大人のひとりとして、どうしたら悲しい事件を少なく出来るのか、そして何が出来るのか、自分に出来ることを考えたい。
by 風船かずら (2006-12-17 18:37) 

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