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ひと区切りにあたって。 [閉じるにあたって]

   自問自答を書くことで、疑問を整理したい気持ちと自分以外の人はどう考えているのだろうとそんな気持ちからブログをはじめました。六年ちかく、こんなにながく続けるつもりではありませんでした。自問自答の中心にあったのは自分が何を望んで、その望みを実現するためにどうすればよいのかをはっきりさせるためでした。何を望んでいるかは比較的はやくはっきりしてきたように思います。それではその希望に近つくために何をすればよいのか、どうすればそうなるのかとなると答えは簡単には見つかりません。気がついたことは人間は主観的で、自分が見たいように見、考えたいように考えていて、そういう自分をなくして事実に即してことわりに気つくこと、自分の希望をしっかり理解することと理に気つくこと、その両方が大切なのだと思うようになりました。

 人の努力にもかかわらず、困難も将来への不安も減ってはいないように思います。しかし人間がつくりだしている困難は解決の方法があるとわたしは思います。原因を知り、悪い結果をもたらさないような努力を日々重ねれば。難しいのは原因をつかむことではないかと思います。

 もし、誰もが存在を認め認められ、お互いの幸福を尊重し、お互いの幸せのために何かができる社会だったら、人は堕落するでしょうか。それとも命の火をさらに高みにむかって創造的に燃やすでしょうか。今回の甚大な自然災害、原発事故後これからを予感させるような新しい動きがあちこちで見えているように思います。人間はより幸福になり、より円満に、困難には辛抱強くなるのではないか。それでも自然の災害は時に襲い、人が病にかかることも、老化することも避けられないでしょうが、それは自然の理というものだろうと思います。

 おばあちゃんになって突然未来が目の前にやってきた、そんな思いがしています。

 A.S.ニイルの本をさらに読んでみようと思っています。ニイルについて研究したり、よく御存じの方いろいろ教えていただけたら嬉しいです。メイルの仕方を勉強します。

1.5×4からはここでひとまず区切りをつけ、しばらく更新をお休みしようと思います。(本当はこれ、もう前に一度公表しているのですが書き直しました)。勝手気ままに書いてきた拙いブログにもかかわらず、訪問くださいました皆様、ナイスをくださいました皆様、心からお礼をもうしあげます。これから読者として皆様のブログにお邪魔させていただこうと思っています。


ダンスはエキサイティング [日々の暮らしから ダンス]

 なるべくシンプルに、身軽に。あまりに余分なものに取り囲まれているので、選んで。ブログの記事も整理しようかなと思っています。カテゴリーを整理して、古い日つけのものは一部だけ残そうと思います。ちょうど一年前の記事を読むと。

 体重増加と健康の関係、今とおなじことが書かれているのですこし可笑しくなりながら、でもこの一年の経験からかなりわかってきたことがあると思います。テレビでも食、運動、生活習慣などと心や体の関係などが報道されることが多くなって、前もって病気を予防することや体や病気についての知識なども楽に得られるようになってきたと感じます。そういう意味では自分で自分の健康を守るということでもできることが増えてきたのではないでしょうか。

 そんな最近のテレビ番組で、面白かったのは体の硬さ(筋肉の硬さ)と心臓病や肺、脳こうそくなど一見無関係のように思える重大な病気との関係(NHK試してガッテン)や何をやっても治らない体の不調を名医が解消(テレビ朝日 1月17日)など。入浴の効果をとりあげた入浴術などガッテンするところがたくさん、さっそく取り入れてみました。41度くらいのお湯に二十分つかることで、体がしんから温まり、老廃物が出て、免疫力がアップする理由など、こんなことも最近の研究であきらかになってきたのでしょうか。

 ストレッチダンスを踊るために心がけてきましたが、筋肉の可動範囲を大きくすることと体全体の健康との関係深いのですね。健康のためにもストレッチに励もうと思います。

 ダンスはとてもパワフル、エキサイティングですね。プロのダンス、上手なダンスなどみるとそんな風に踊れることは到底無理なことは分かっていても自然に動き出します。昨年のデモはやはり及第とはいきませんでした。(我慢してみましたが、目を覆いたくなるシーンもあったりして[モバQ])今年も一歩前進、課題克服をめざしてがんばろうと思います。過去のダンス写真の整理をしてみました。

PIC_2127.JPG ワルツ  タンゴIMG_6969.JPG     DSC_9416.JPG 昨年十二月ルンバ

 

 

 


今選挙があったら? [おもうこと]

 疑問がどんどんふくらんでしまう。なぜだろうと考えてみてもその答えも簡単ではないようだ。あまりに個人でどうこうできるレベルでなく、問題が大きく、個人の手をはるかに超えているからに思える。しかし、一人ひとりにとっては、自分一個から始まるのだから、自分を確認するいがいにない。すべては一から始まり、すべては一にともいえる。自分の身の回り、足元、見えるものから出発する以外にないと思う。

 今選挙があったら、だれに投票しますかと聞かれたら、私は悩んでしまう。判断のための材料があまりにない。友人の一人は国会議員の顔なんて見たくない、全員取り替えてほしいとちょっと過激な発言をしていたが、その気持ちがわたしもわからなくはない。議員一人ひとりがどういう考えを持って発言し行動をしているのか、有権者の目にみえない。こんな風に選ばれる人と有権者の距離が遠いのでは政治を無力にしてしまうのではないかと思う。五、六十年まえまで選挙公報が各戸に配られて、候補者の経歴や考えをみることができた。保存することも可能だったからそれを判断の材料にしていた。今はテレビでの政見放送があるが、その時見ていなければわからないし、見ていてもその場限りだから、利用しがってが悪い。言うことも抽象的で重要な具体的政策について不明だ。もう少し、有権者が希望するなら平等に候補者について知ることができる方法を工夫したほうがいいと思う。ちなみに、今国会議員の定数削減が問題になっているが、国会議員一人にどれだけの歳費が使われているか。詳しい友人に聞いてみた。議員報酬年間1950万円、交通費は無料、文書、通信費、毎月100万、年間にすると1200万、これについては領収書不要、期末手当300万円二度、秘書手当二名、政党助成金は一人4000万円など、すべてを含めると年間一億にちかいという。そのため、民主党は議員定数、小選挙区、0増5減、比例八十の削減を党の政策として決定したという。小選挙区はほとんど一人区か二人区だがら、大きい政党に有利で、少数政党から当選する可能性はほとんどない。唯一、比例が国民の支持比率を反映する。政権政党、大政党が多数を占める結果になる選挙制度がはたして政治を健全にするだろうかと思う。自民党と公明党が政権を担当して絶対多数を占めていた時、国会でどんな議論をしていたか忘れてはいけないと思う。議員にかかる費用をもっと削減しようとするなら、定数を減らすことばかりでなくいろいろあると思う。いつ”れにしても有権者の声をしっかり国会で議論して政策を決めるのが議員の役目だから、民意を縛ることがあってはならないと思う。

 日本の選択が問われている重要な問題の一つ、原発をどうするか、これは当然エネルギー問題全般、経済成長の問題と深くかかわっているから、全体の中で考えられなければならないのだがつい最近原発をこれから六十年使用する方針が決まった???と伝えられた。

 今も原発事故の影響は深刻だ。さらにどこまで広がるのか、もっと深刻な事態は本当に避けられるのかもはっきりとはしていないようだ。福島の原発事故一つの問題だけでなく、原発はトイレのない核施設といわれていると知って驚いてしまった。さらになぜ人類史上最悪という事故になったのかの政治的、経済的背景、研究者、東電、関係機関の対応に驚くほどの危機予測がなかったなど何が重大事故につながったのかの検証もまだ終わっていない中で、こんな厄介なものをしっかりした討論、議論もないまま、継続が決まっていくことに驚いたのはおかしいでしょうか。次の時代を担う子供たちに豊かな自然や安心できる社会を残せるのだろうかと心配です。

 財政規律を巡って世界的な危機がおこっているらしい。なぜ危機に陥るのだろう。なぜ、営々として、額に汗して働く人が報われないのだろう。格つけ会社の格つけで世界全体が地殻変動を起こしてしまうかのようだ。それも理解できない。なぜ実態と虚がこんなにも遊離してしまうのだろう。

 疑問ばかりの中で、足元をしっかり見ながら、自分の考えを持ち、暮らしを設計していく、虚から実へ、自分たちの手に、そういう努力が必要なのでしょうか。

 

 


新しい年に [日々の暮らしから]

遅ればせながら

 2012年あけましておめでとうございます。 明るい良い年にしたいですね。

 

 今年はどんな年にしたいかなと考えてみました?一年の計は元旦にありですからね。自分としては勉強の年にしたいと思います。窓を開いて、好きなこと、関心のあることをできるだけ吸収していけたらいいなと思います。それに健康、食事、周りの人とのつながりなど、自分の手足が届く日々の暮らしを整える。やりたいと思うことはたくさん出てきてしまうのですが、いつも年の終わりには絞っても半分くらいやりのこしてしまうので、ちょっと気を引き締めて2012年をはじめます。

 暮れから年初めは普段のペースが崩れやすく、ひと月の間にきっかり1キロ体重が増えてしまいました。これではまずい[ふらふら]と散歩もはじめました。

 ブログ訪問できるだけしたいと思います。お邪魔するかもしれませんが、ことしもどうぞよろしくお願いします。 

 

 


2011年さようなら [日々の暮らしから]

 パソコンが二度目の故障。どうしてもハードデスクの交換が必要というので修理にだした。買ったばかりの状態になったのですべて設定しなおし。改めて操作の勉強から、年末のあわただしさの中で何日も時間を取られ、何度かサポートセンターのお世話になった。そのたび丁寧なアドバイスをいただき感謝である。最近の外国製品の中にはマニュアルやサポートがついていないものもあるようだから、やはり初心者には日本製品が適しているなと思った。広い世界に少しでも窓を開くためにパソコンはやはり必要だと感じています。

 2011年、私にとってやはり忘れられない年だった。阪神大震災と地下鉄サリン事件があった年前後も忘れられないが、今年はもっと考えさせられた。駅の広場で大勢の人と激しいい揺れを見守りながらなすすべもなく、最後は自分の体一つなのを感じた。そんな一人ひとりが支えあって一年を生きてきたように思う。

 事実とか真実とかは人が意識したり認識したりするかどうかと関係なく存在する。想定外という言葉が一つのキイーのように使われた。辛いことや苦しいこと、望まない事態はなるべく見ないようにする、それは自分を壊さないための防衛機能なのかと思う。しかし真実はその外側にあり、消えることなく存在し続けるのだとしたら、むしろ真実を知り、真実から目をそむけず、どうすれば望まない事態を招かないようより良い選択ができるのかを考えたほうがずっと建設的だ。というより長い目では逃げることは不可能だ。

 来年を考えると不安はぬぐえない。そして不安と向き合うことを避けて通れないと思う。様々な難問の解決に人類は有効な答えをさがすことは不可能なのかというと、簡単ではないと思うが不可能ではないと思いたい。決めつけず、あきらめず、謙虚にと思う。


今年も残りわずか [日々の暮らしから]

2011年、いろいろのことがあったせいか、長い一年に思えます。

どこか、憂いと悲しみがいつも底に張り付いている様な気分で過ごしました。

目標の一つだったダンスの発表会が昨日終了。発表会が近くなるにつれ、だんだんほかのことが後回しに。残り時間が忙しくなりそう。劇的ビフオーアフターを目ざし、この曲で踊りたいと思う曲に出会って集大成のつもりでレッスンしましたが、デジカメ動画を再生してみてやはり劇的ビフオーアフターにはほど遠いことがわかりました。[ふらふら]欠点の縦軸の修正が十分でない。[ふらふら] ほかにもできていないことがいっぱい。来年からは劇的ビフオーアフターの目標は下して、気楽にと考えています。といってもまだまだ上達したい。

今年日本をおそった大地震災害、原発事故、さらにTPPや消費税の値上げ、税と社会保障をめぐる一体改革の議論、様々な事件など毎日の暮らし、自分にも次の世代にも直接かかわる重大な選択の問題としてもっともっと真剣に考えてみなければ。今の時代をどう選び、どう生きるか、安易に答えが出るとは思えません。来年の課題だと思っています。


散歩 [日々の暮らしから]

残暑お見舞い申しあげます。 

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朝、七時少し前。降るような蝉しぐれ。朝からはんぱでない暑さですが。緑の濃い木陰を選んで、四十分近く散歩しました。

 音声付き動画で公園の中を映してみたのですが、容量オーバー。涼しい写真をお届けできなくて残念です。動画のアップの仕方まだわからないのです。[ふらふら]


2011-08-08 [家族、社会]

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 DSCF1580 (2).jpgこのところ、更新をすっかりサボり気味です。今日は暑さが戻って、湿度も高いので、快適とはいきませんでした。でも時々開け放した窓から涼しい風がはいってきます。

ちょっとうれしかったニュースから。最近大腸がんの内視鏡検査を受けたのですが、問題はありませんでした。七、八割怪しいと思っていたので。「たぶん過敏性大腸でしょう。心配ないということを証明するために、検査しましょう」と。一度何十年かまえに受けたことがあり、二度と受けたくないと思っていたので、キャンセルしようか悩んだ末、やっぱりゴメンですね。まあ結果はよかったので、命がのびた思いです。

このところ、本多勝一編の「子どもたちの復讐」上下とさらに関連して「こどもがなぜ親を殺すのか」(菊池良輔著)などを続けて読んでいました。ちょっと重すぎる問題なのですが。これらの本が出たのは1979年から198O年代で、いまからはかなり前です。が、どうしてももう一度しっかり読み直してみたいと思いました。やはりこの本が検証している問題は特殊ではなく、今も象徴的な問題で、形や質的にも様々に変わってはいても、次の時代を考えるうえで重要な意味をもっていると思いました。

たぶん知っていらっしゃる方が多いと思いますが、「子供たちの復讐」は激しい家庭内暴力の末に開成高校生Aが父によって殺され、続いて母が自殺した事件、もう一つは祖父と父がともに学者という家庭で、当時有名私立高一年生だった少年Bが祖母を殺害し、そのあと遺書を残して自分もビルからとびおりて自殺した事件をあつかっています。

もう一度読み直してみて、とくに上巻「開成高校生殺人事件」は初めて読んだくらいに新たらしく知ったこと、考えたこと、思いを新たにしたことがありました。

祖母を殺し、自分も自殺した高校生は遺書のなかで、家族にすさまじい乱暴を働いたあの開成高校生の気持ちがよくわかる、彼は私と全く同じ気持ちだったのだと書いているのですが、二人に共通する、言語で表現することのできないやり場のない怒り、ありきたりの進学問題にとられてしまう無念さと表現した感情の背後にある問題とはなにかについて考えさせられました。到底あってはならない行為、事件に発展してしまった裏側に、彼らが求めていた父性に出会えなかった、あるいはずれていたという不幸、そして新しい自画像を作ることも、新しい価値観も見つけられなかった不幸(医者やカウンセラー、学校、広くは社会もふくめて)があったのではないかと特に開成高校生の事件では強く感じました。

父性について河合隼雄さんが次のような指摘をしています。欧米では「父なる神」を背後に持っているからこそ核家族が可能なのですね。そういう父なる神というものに、小さい時から鍛えられて戒律を守り、神の教えに従う人間として成人するから、結婚して子供を産んで一つの家をつくってもやっていける。現在の日本人は、まだまだ母性原理を温存していて、男も女も核家族を作るような人間としての鍛え方をされていないのが実情です。人間が鍛えられる前に経済的に核家族が可能になってしまった。だから本当の意味の父も母もいないような家がいっぱいある。本当の母とか父とか求めてもいないということになると。

A少年、B少年がぶつかってもがいて苦しんだ壁、新しい自画像を作れなかった原因はなんだろうかと考えました。痩せ細った教育力、自然や血縁、地縁社会の崩壊とともに剥き出しの個人が一人一人で、アイデンティティを揺さぶられているように思えます。それは少年だけでなく、少年の父や母にとっても、そしてわたしにとっても同じ問題だと思えました。課題ははっきりしたように思えます。若い人たちの動きをみるとすでにものさし一本の価値観から抜け出している人も多いのかもしれないと思うことがあります。それは一部の人かもしれませんが。あまり恐れずに一歩、一歩を歩むことかもしれないと思いました。

 

 

 

 

 


今日の暑さでは、、、。 [おもうこと]

 どんどん気温が上昇しているようです。日中の暑さがたまってしまう二、三時過ぎには冷房が必要になるかもです。

 いくつかの暑さ対策、節電対策をしています。よしずのすだれは陽射しを避け、大気の熱気をさえぎる効果が結構ありそうですね。自然素材を活用するって、現代社会が抱えた問題を見直すうえで大切な視点かもしれないですね。人間ももっと自然に帰れでしょうか。

電力消費、三月の請求が一万円近かったのが、六月にはとうとう三千円代にまで減ったのには自分でも驚きでした。必要なところでは使い、無駄は省く、メリハリのある選択をしたいなあと思います。

技術革新と経済効率だけが人間を幸福にするのではないこと、人の原点を度外視した文化、文明が脆弱であることを歴史はおしえているように思います。

最近「ブッダの言葉」(小池龍之介)という本が良く売れているそうですね。わたしも買いました。誰にもわかる言葉で書かれているので、スーと心にはいってきました。

その中にあった言葉「快と不快の反応に無自覚なことによって、反応がパターン化する、、、」。

別の本の、エゴ(自我)がイド(欲動)とスーパーエゴ(超自我)の調和を図るという言葉。

また二イルの本にあった言葉、「すべては気付くという問題である。人生は無意識に始まり、その生涯は、一つの漸進的な意識獲得の歩みである。、、、四十歳の男は多分に意識的であるが、必ずしも自覚しているということではない。子どもを殴る四十歳の男も、毎晩居酒屋に通って、生活上のうっ憤を晴らしている男も、ともに自分自身をしらぬものである。」

これらの言葉関連するなーと、苦とか、安らぎとか心の病とかについて考えているところでした。人生は思うよりシンプルなのではないでしょうか。ややこしくなるのは基本を見失うからでしょうか。


線の先 [おもうこと]

 真っ青な空、雲がどこにもない。おりしも梅雨明け。今までなら、遮るもののない青い空のようにうきうきした晴れた気分のところが、心の奥底に暗い悲しみがぬぐえ切れないで残るのはやはり今年がいままでと格段に異った年だからだろうか。しかし、その不安を四、六時中感じていたら心が折れてしまう。自分も含めて弱い、非力だ、不信感や失望、人間は怖いとさえ思うが光はそれをこえたところにある。負けてはいけないのだと思う。

 節電と暑さ対策に、よしずのすだれで日よけをつくった。さらにゴーヤを食用と陽射しを遮る目的で育てている。朝、ゴーヤに水遣りに行くと弦の先がネットをとらえてくるくると巻き付いている。ネットを張ったのがごく最近で、次の朝には地面に垂れていた弦の先がしっかりネットをとらえているのにびっくりした。たくましいんだなーと思う。

 原子力発電の是非、人の命、自然の保護、産業の発展、経済、紛争、対立あまりにも大きな問題に日本も世界も直面している。楽観的な予測ですむことではなく、未来に対する粘り強い、慎重な努力なしに明るさはやってこないのだと思う。

 植物は根を下ろしたところから離れない。動物より植物のほうが好きなのは種をまかれたところで、根を下ろし、大地とつながり、風と太陽をあびて茎を伸ばし、葉を伸ばし、花をつけ、実をつけて、次につなぐ、その可憐さ、つつましやかな逞しさ、ひたむきさに共感するからだろうか。

 Lara Fabianの歌にとても感動してしまってから、彼女のことをもっと知りたくなってネットで検索してみました。いくつか大まかなことがわかりました。もしかしたら別の機会に彼女の歌を聴いていたかもしれないと思う。最近、日本で発売されたらしいLara FabianのCDワンダフルライフ」のジャケットに書かれているという。

「人は誰もとても複雑な存在。でもその一方で同じものに夢中になり、誰もが人生の中で同じものを求めている。ただ、それぞれ異なるのがその求め方であり、求める過程なのだ」という異なる人への深い理解、「人間は無駄に歴史的時間をすごしてきた存在ではない」という確かな歴史感、うつくしい、スケールの大きな歌だけでなく、その言葉にも、この朝感じていた悲しい不安さえ消えていくようなでした。


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